人に頼ること…
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子育ては思いのほか大変だったとお子さんを持たれてつくづくそう思われているお母さんやお父さんも多いと思います。残念なことに、9月には親が幼い子供の命を奪うという、とても傷ましい事件が福岡をはじめ全国で起きました。
子育てで切羽詰まって犯行に至った気持ちは理解できなくもありませんが、どのような理由であれ、命を奪うことは許されることはではありません。当事者たちは、思いつめて衝動的に犯罪に走る前に誰かに頼ったり、相談したり、せめて現状が好転するように、毎日ひたすら祈ってほしかったと思います。
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(私的な考えですが…、)このような罪を犯す人は、何でも自分で抱え込んでしまうタイプの人で、生き方そのものが不器用なのだろうと思います。何でも一人で抱え込んでしまって、周囲に打ち明けたり頼ることができません。
周囲の目からみれば、表面的に、自律した人や真面目な人に映るかもしれませんが、何でも自分でやろうとして、病的な精神状態まで自分自身を追いつめてしまうことが少なくないと思います。
人に頼らないということは、他人に迷惑をかけないという意味で良いことですが、反面、他人との接触を嫌い、自分以外を信じない自己中心的な偏った考えが背景に潜んでいる可能性も考えられます。十人十色というように必ずしもそうではないかも知れませんが、他人に頼ることが苦手な人は、往々にして人間以外の(例えば)神様や仏様に頼ることすら下手なのではないかと思われます。結局、何も頼ることが出来ないために、常に張りつめた状況にあるため、心にゆとりが生まれることもなく、何時か「ポッキ」と音をたてて折れてしまうのでしょう。
切羽詰まった状況であっても、僅かに視点を変えるだけで自分の間違いに気づいたり、深刻にとらえ過ぎていることを悟ることもあります。よくよく冷静に考えてみれば、別の解決法を思いつくこともあります。困った時にこそ、ほんの僅かな「心のゆとり」が必要です。誰かに「頼る」と言うことは、自分の気持ちを受け入れてくれる対象を得るということであり、心の中に「ゆとり」を取り戻す機会となります。
一方、人に頼るのが恥ずかしかったり、どうしても周囲に頼れる人がいない場合は、「イワシの頭も信心から」という諺があるように、身近な神社やお寺(あるいは教会)に出かけて必死に祈ると良いと思います。要は対象が何であれ、自分を受け入れてくれる拠り所を持つこと(持てること)がとても大切であり、それは、子育てを含め、何時か陥るかもしれない精神的危機に対する1つの対処法になると思います…。
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話が変わりますが、子どもたちは、今の大人以上に住みにくい世の中を生きていかねばなりません。そのため、雑草のように強く生きる能力が子供たちに求められています。しかし、他人より強く生きる技術だけでは不十分と思われます。
そのことも大切ですが、将来の状況が厳しければ厳しいほど、むしろ、「他人に上手に頼る」力の方が大切ではないでしょうか。
子供たちに力強く生きることを強要し過ぎると、他人に頼ることが出来ない「脆い(もろい)」人間を作り出してしまうかも知れません…。脆い人間は、予想外の精神的重圧を受けたとき「ポッキ」と音をたてて折れてしまいます。
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お父さん、お母さんがご自身のことを含めて、また、お子さんのことについて、考えてみるよい機会かもしれませんね。
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